ダムが好きになってだいぶ経ちましたが、いろいろダムを巡って思うようになったこと


ダムマニアを拒絶する方へのアンチテーゼ。どうも、ダムログの時間です。


私が住む地域は濃尾平野の下流域にあり、豪雨に見舞われるとたびたび水没するような地域でした。祖母や父母からはよく伊勢湾台風の話を聞かされます。他にも小学校のときの副読本で豪雨や水害のことを知りました。
しかしそれ以後、上流にはダムができ、下流には排水機場ができ、堤防が改修されるなどの対策が施され、私が物心ついてからは水没らしい水没は東海豪雨以外に無かったように思います。
東海豪雨は伊勢湾台風以来の水害と言われています。激甚災害に指定されていますが、静岡・岐阜・愛知・三重で10人が死亡、全国で115人が重軽傷、経済的被害は2700億円以上とのことで、もしダムや排水機場、堤防の改修がなされていなかったら、被害はもっと大きかったと思います。
そもそも近くの木曽川・長良川・揖斐川のいわゆる木曽三川は古くから洪水に悩まされていたことを、小学校でよく教わりました。学芸会の演劇の題目にもなったぐらいで、宝暦治水やデ・レーケ、輪中、千本松原、水屋など、未だにこれらの用語を覚えています。
宝暦治水とデ・レーケの明治治水で洪水の被害がかなり減ったそうですが、その後のダム建設や排水機場建設、堤防改修などによって治水がより完璧になったのだと思います。
無論、水害だけではありません。渇水についてもダムの有り難味がわかります。
濃尾平野は主に木曽川水系の水が利用されていますが、たびたび渇水に悩まされています。
>>既往の主な渇水(国土交通省)
>>平成17年度の渇水について(同)
そこで徳山ダムの登場ですが、この渇水問題を解決するために徳山ダムから導水路が建設される予定だったのが、今の河村たかし名古屋市長が反対を唱え、物議を醸し出しています。ただダムが無かったら渇水はもっと酷く、毎年のようにあったかもしれません。
他、渇水については愛知用水の歴史を紐解くと、知多地域の人たちの苦労を知ることができるでしょう。三河東部や渥美半島の豊川用水も同じですね。
私自身は濃尾平野の下流に住んでいるため近くにダムは無く、正直ダムに目覚める前まではまったく興味がありませんでした。たまたまドライブで行った矢作ダムのあの巨大さに感動を憶え、それからダムを巡るようになったのですが、ダムのことを知らなかったら、たぶん源流域やダムの水没地域の方々に感謝の念を抱くことも無かったでしょうし、こうして各地のダムを巡ることもなかったでしょう。
何かと風当たりが強いダムですが、さらにその余波が個人としてのダムマニアにまで受けているのは心外以外の何物でもありません。単にマニアな視点でダムを巡っているわけではないことを申し伝えさせていただきたく思います。

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